Q4 阪急電鉄福岡営業所 020 入社の背景
第二十話 阪急電鉄㈱代理店部、福岡営業所での就職
昭和 二十七年十二月に福岡市東中洲の親和銀行構内の阪急電鉄㈱代理店部福岡営業所に就職した。当時、阪急電鉄㈱は京阪神急行電鉄㈱が正式の社名であったが、阪急がどんな会社であるかはあまり知らなかった。福岡営業所は六坪程度の事務所で、中小企業に就職したという感じをもっていた。
電鉄の入社試験が終了したあとの話で十二月よりアルバイトとしての勤務であるが、二十八年の本社採用の学卒としての取扱を私は入社の条件として就職したため、入社筆記試験は免除された。
二十七年十二月より翌年の三月までは米軍の通訳、阪急のアルバイト、大学への通学と三種類の仕事のかけもちを行った。大学は卒業論文のみで授業は殆ど終了しており、また米軍関係は夜勤、深夜勤が多くまた年休が利用できたため、これが可能であった。
空軍憲兵隊通訳は二十八年三月末付けで退職した。退職金は五万二千円であり、通訳の月収は約一万四千円で現在の貨幣価値で約三十万円に相当していた。
阪急の二十八年度学卒者の初任給は本俸で九千八百五十円であった。阪急への入社が学卒としての新入社員となるため、通訳の月収の七割にダウンしていたが、本社採用なら阪急に入社するという条件付きの就職であった。福岡営業所は日航の国内航空券の販売と、米国軍人が本国に帰国するときの航空券を販売していた。
朝鮮戦争で朝鮮に出兵した米国軍人は帰国においては長崎県佐世保のキャンプに宿泊しそれから米本土に帰還するわけであるが、海外で航空券を購入すると米本土内の通行税として運賃の一割は免除されるという特典があった。このため、帰国する軍人は日本で航空券を購入していた。
阪急福岡営業所は担当者二名を交替で佐世保に派遣していたが、出張で病気になった社員があり、また福岡営業所の社員が二名、同時に退職したため、急遽、私が採用されたわけであった。
二月に体験飛行として日航機DCー4型機で北九州一周の招待飛行に参加した。飛行機に搭乗したのはこれが戦後はじめてであった。面白い職業と思った。十六年七月に米子航空機乗員養成所において、体験飛行として六人乗りの気象観測機に搭乗し約十分間、米子上空を飛行したことがあったが、今回は航空券を販売する代理店の従業員としての体験飛行であった。
三月三十一日、日航機で大阪に出張した。入社式に出席のため会社が航空機の搭乗を承認した。四月一日、阪急電鉄で二十八年度学卒者の入社式があった。西宮の阪急の独身寮に宿泊し、電鉄社員としての二週間にわたる社員教育が行われた。同期生は三十三名で代理店部に配属が決定しているものは私を含めて三名で大学英文科出身で海外旅行業務を志望しての電鉄入社であった。電鉄志望の社員には電車の車掌、運転手の教育が行われることとなった。

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