Qf 古希以降の仕事 111 会社事務所の移転記録
十六年間勤務してきた阪急交通社を依願退職したのが昭和四十四年四月末で年齢は四十二歳であった。会社で研究した事項を基礎に第二の人生を歩むことにした。
五月一日に、渋谷区初台1丁目で坂本システム研究所を設立し、賃貸マンシヨン3LDKの一室を事務所として従業員なし、車両なしの典型的なSOHO業者であった。
航空貨物の販売促進ツールの開発が本来のビジネスであったが、開業して十年後の五十四年にホテル・レストラン内装工事設計管理会社、株式会社エクスブレイン・インダストリー(以後EX社と仮称、代表取締役社長三木正也氏)にキャノンパソコンを販売、経理関係のソフトを開発、納入した。これがきっかけで色々なソフト開発を受注、五十八年よりホテル建設事業計画を開発、その後、ホテルコンピユータの開発を行った。
昭和六十二年二月にEX社と共同出資により、ソアレックス株式会社を設立した。資本金一千二百万円で、代表取締役会長が三木正也氏、代表取締役社長が私であった。事務所は港区赤坂三丁目十三番地の東相ビル七階で、EX社の事務所の一角を借りた。社員は私だけであるが、EX社の関連会社として同社の経理関係のソフトの保守ならびに、ホテル建設事業計画の手伝いも行っていた。
平成五年十月にEX社は新宿区下落合三丁目四番十一号、三木正也宅の構内に移転し、ソアレックス㈱も三木宅に移転した。三木宅は古い建物であったが、戦後、皇太子殿下の英語の先生であった。バイニング女史が住んでおられた家であった。
三木宅は十一年四月に取り壊しとなり、ソアレックス㈱の事務所は杉並区高井戸西一丁目の自宅に移転した。SOHO業者として最初から一名で仕事をしており、ソフト開発と云うものは後継者を育てることはきわめてむずかしい。
高齢となるにつれて廃業せざるを得なくなったが、健康で還暦より七十三歳まで仕事があったことは恵まれていたかもしれない。

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