Qf 古希以降の仕事 112 杉並区IT&パソコン講習ボランチィア
平成十二年二月ごろ杉並区でIT&パソコン講習のボランチィアが募集され、これに応募した。昭和四十四年五月より航空と海上との輸送方法比較でSOHO業者として独立、四十六年七月より現在のパソコンの元祖となるマイクロ・コンピユータのソフト開発と機械の販売に従事し、六十三年四月より国際観光専門学校国際ホテル学科のコンピユータ実習講師となった。
Window95が発表されていない時代ではソフトや機械を販売する取引先に対して、漢字などの入力方法を教える必要はないが、開発したソフトの説明では、メモ程度の知識でワープロ操作ができれば充分であった。
専門学校のOA授業の講師を九年間従事したが、学生に日本語の漢字変換などを教えたことはなかった。これはワープロの講師が別に任命されており、私が開発したプログラムを学生が機械操作することにより、業務の流れを理解させることが、実務教育であった。
平成十二年四月よりスタートした杉並区IT&パソコン講習会では、一クラスに二十名の受講者に対して講師一名、ボランチィア助手四名の構成であった。操作が不慣れの受講者をサポートする仕事であった。コースとしては一日三時間のコースで四回であった。初年度は五十時間程度、講習会助手として従事した。
平成十二年四月よりスタートした杉並区IT&パソコン講習ボランチィアは初級コースであり、十三年四月より杉並区内の図書館でパソコン講習補講講座に切り替わった。これは初級コースで理解できなかった人に対する補講で、私は属していた高井戸図書館では十台のパソコンで、ボランチィアが三名で毎週木曜日の午前九時から十二時、午後一時より四時を担当、特別な授業はなく機械操作や質問事項があれば、これに対応する。初級コースが前提であるため、表計算やデジカメなどの質問はあまり発生しなかった。
十六年四月より杉並区高井戸地域センターで毎月、第二木曜日と第四日曜日に午前十時より午後五時までの間、パソコン相談室が開設された。十六年度のボランチィアの希望者が少なかったのでボランチィアを応募したが、十七年四月より希望者が多くなったため二ヶ月に一回のボランチィアとなり、十一月よりの相談員の仕事を修了することにした。
パソコンで発生する諸問題を研究し、質問があればこれに応ずるという相談員の仕事は年齢が高齢化すると記憶力が低下するため、困難になってくる。
平成十二年八月より自分史永和会に入会した。人に教えるよりも自分の記録を、メモ程度のソフトで作文することに方針を転換した。

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